2014年5月7日水曜日

食べる事に心を向けない男は・・・ サミュエル・ジョンソン

2014年5月7日

 今日は、ここに行くつもり。

気になるメニューがあった。

ギリシア料理 ポークスブラキ。

ウィキペディアより
スブラキ (Souvlaki) は小さく切った肉を串焼きにした、代表的なギリシア料理。トルコ料理のシシケバブや日本の焼き鳥に類似し、現地では鉄道の売店や車内販売でも買える一般的なファストフード。

TOKYO FAMILY RESTAURANT 


トウキョウ ファミリー レストラン サイト
 まさにワールド・フード・トラベル! 食べログより





サミュエル・ジョンソン(1772年頃)ジョシュア・レノルズ画

「食べる事に心を向けない男は、ほかのことにも興味がないだろう。」

サミュエル・ジョンソン

ウィキペディアより

イングランド中部のリッチフィールドに生まれる。父は小さな書店主であった。オックスフォード大学で学ぶが家が貧しかったため中退し、故郷に戻り教員になった。1735年、20歳年上で未亡人のエリザベス・ポーター(en:Elizabeth Porter 1689-1752年)と結婚。
1737年、ロンドンに出て、悲劇を書いたり、新聞への寄稿を行ったりした。1746年に「ザ・クラブ」創設に参加。また同年「英語辞典」刊行計画を公表。アカデミー・フランセーズがフランス語辞典(1694年)を完成させるのに40年かかったことから、個人で行うのは無理だと考えられたが、1755年に「英語辞典」2巻を完成させた。この業績によりオックスフォード大学より文学修士号を得た。
1759年、小説『ラセラス』を執筆。1763年、30歳年下のジェイムズ・ボズウェルと知り合い、以後交友を結んだ。1765年、シェイクスピアの戯曲集を刊行。1776年に法学博士号を得た。
1784年に逝去。

クラブ向きの男
 ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設されたザ・クラブ(文学クラブ、The Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にギャリックen:David Garrick(俳優)、ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。

語録
「腐敗した社会には、多くの法律がある。」

「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすることはできる。」

「結婚は多くの苦悩を生むが、独身は何の喜びも生まない。」

「あらゆる出来事のもっともよい面に目を向ける習慣は、年間1千ポンドの所得よりも価値がある。」

「彼の死を悲しんではならない。彼のようなすばらしい奴と出会えたことを喜ばなくてはならない。」

「過ぎ行く時を捉えよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き春にして人は花なり。」

「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから。」(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)

「愛国心は卑怯者の最後の隠れ家。」

「地獄は善意で敷き詰められている。」

「怠け者だったら、友達を作れ。友達がなければ、怠けるな。」

「人生において新しい知人をつくらずにいると、やがて独りぼっちになるだろう。人は友情を常に修復し続けなければならない。」

「信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。」



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