王様が愛してやまないマッサマランカレー パッポンキッチン4回目
遠い昔、ポルトガル人が南米の唐辛子をタイのナライ国王に
教えて以来、唐辛子の虜になってしまった。
中国では、18世紀にイギリスからアヘンを教わり、病みつきになった。
日本では、20世紀にアメリカから核をいただき、病みつきになっている。
西洋人に東洋人がやられまくっている。
孫文がこんな言葉を残している。
ウィキペディアより
そもそも中国国民党は50年前の日本の志士なのである。日本は東方の一弱国であったが、幸いにして維新の志士が生まれたことにより、はじめて発奮して東方の雄となり、弱国から強国に変じることができた。わが党の志士も、また日本の志士の後塵を拝し中国を改造せんとした。
日本の維新は中国革命の原因であり、中国革命は日本の維新の結果であり、両者はもともと一つのつながって東亜の復興を達成する。
王様の食べ物を食べながら、洋の東西を問わず、仲良くする方法を模索した。
マッサマンカレーのように甘くはなさそうだ。
※アジアンぐる 王国宮廷の味 タイ料理 サイト
17世紀、ポルトガル人はナライ国王(1656~1688)の王宮に、洋菓子と南米原産の唐辛子を使った料理を紹介しました。
ラーマ2世
マッサマンカレーは
私の愛する人からのもの
強い香りを漂わす
その香りを嗅いだ
全ての男性は
彼女とそのカレーを
夢見ずにはいられない
ウィキペディアより
武人の一面
即位前は父王、ラーマ1世に連れ添われて、戦乱にでていくことが多かったため、戦争も比較的得意だったとされる。即位後には侵攻してきたビルマ軍を破った。
1813年にはカンボジアがベトナムと手を組んで反発。以降東部カンボジア以外の地域での支配力を失う。
現マレーシア・クダ州を占領しスルタンを廃止した。これが元でマレー半島での勢力拡大をねらっていたイギリス東インド会社との関係が悪化した。
文人の一面
タイの詩聖スントーン・プーなどの詩人を保護し、貴族を集めて史の競作を行った。スントーン・プーやラーマ3世らとの共作・競作作品に『クン・チャーン=クン・ペーン』があり、タイを代表する文学の一つでもある。
自らも作詩した。代表作に『イナオ』、『サントーン』、などがある。
ラーマ1世が破壊したワット・スタットの修復をしたときに門に彫刻を行った。
そして、このマッサマンカレーの歌もつくった。
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